おかみさん手帖
12.62017
勝ち組・負け組
私は負け組や。
赤ちゃんが出来ない私は負け組や。と、感じていた。
今日、妊活を始めた女性を知り、支えたくなった。
で、綴りたくなった。
私は、長男を7回目の人工授精で授かり、次男を2回目の体外受精で授かった。
長男と次男の間は5才で、その5年の間に一度流産している。
私の不妊治療中は、自分がどんどん嫌な人間になっていくような気もしていた。
自分の気持ちがすさんでいって、嫌いでした。
妊婦さんをみると、悲しくなり
ベビーカーを押している人がいると、目をそむけたくなった。
授かり婚や、ハネムーンベイビーと聞くと
「どいつもこいつも!」など、口にはしないけれど 心の中で汚い口調。
今思えば、『私もいつか あんな風になりたいな♪』という風に思えなかったのか😅
不妊治療を隠したくて、何も知らず初めて治療に通った小さな産婦人科は、出産がメインなので、妊婦さんたちの中で
待合の席に座っていた。
卵管造影では、年に数回程しかしない先生が冷たい道具をパレットに入れて、血が付いた緑のエプロンをしながら検査してくれた。
ステンの道具は それはそれは冷たくて、子宮を膨らますときにベットの上で血の気が引いたのを覚えています。
検査後、待合で待つように言われ、妊婦さんが受ける診察室より奥にいた私は、暗い細長い廊下を 太ももから少し血を流しながら
待合室に向かった。
で、トイレに駆け込んでもどしながら、貧血で倒れました😑その後の記憶なし
その産婦人科はエグイ思い出しかなく7ヶ月通って、ハイヒールリンゴさんが通っているという不妊治療専門クリニックにかわった。
それはそれはVIPなクリニックで、卵管造影も体温と同じ器具を使用してくれ、痛さに耐えられない人には麻酔も勧めておられた。
1年通って、そのクリニックは遠いのと治療費が高すぎての👛事情で、大阪の高槻駅そばにかわった。
その決して大きくはないが、不妊で悩む方が診察に訪れる人数の多さにびっくりしたことと、
卵管造影で、初めて気分が悪くならなかったことで、その先生についていくことを決めた!
先生に「卵管造影後に普通に座ってられるのは初めてです!😍」と、お礼を言うと
先生は自分の腕をポンポンとたたいて「年に数人の造影をする先生と、一ヶ月に100人の造影をする違いやんか✌」と、笑顔だった。
またまた、この先生についていこう!それでダメでもしかたないやん☆って、思った瞬間でした😊
長くなるので次回につづく・・・