おかみさん手帖

信楽にて

信楽


信楽に来て、古き良き行事が いくつもあることを知った。
只今、奥田お母さんは、浄土宗のお寺にて五重相傳入行されています。
22日からの1週間、お寺で 自らの戒を保つ修養する期間です。
1日目、フラフラになって帰ってきた奥田お母さん。
受者の家族として、期間中に1日だけ ご奉仕をしに日曜日にお寺へ行った。
そして、そこで お母さんがフラフラになる理由を知ることになる。
入行期間中の心得通り頑張っておられた・・・
大阪出身の私。まだまだ???信楽です。
都会は簡素化されているけれど、
昔は、こんな風に物事が執り行われていたんだろうな~。なんて感じています。
例えば、人が亡くなられたら、四十九日までの七日ごとに お逮夜(おたいや)なるものがあり、
故人を偲び、道に迷わず天に召されるまでの間、お経を唱える。
嫁いで、1年後に奥田のおばあちゃんが亡くなり、
当時勤めていた大阪の会社に父ちゃんから 「直接、信楽に戻って」 と、電話が入り
スーツ姿のまま信楽に戻ると、父ちゃんの細いお目めが点になっていた。
当時、信楽に葬儀場がなかった時で、聞くところによると
親戚一同、エプロン付けて忙しく動き回っているとのことkao12
慌てて、スカートの替えになるズボンと、黒いエプロンを買いに走り、
上はジャケット、下はジャージにはき替え、黒いエプロン姿で母屋に入った。
お通夜と、お葬式の日、
父が母に 「あれ(私の事)は、ここでやっていけるんやろか?(T_T)」 と、心配してくれていたらしい。
いまだに、右往左往している。
「どうしよう?どうしよう?」なんて言った日にゃあ
息子が 「どうしょう10年、南無阿弥陀仏・・・」なんてお経の一部を口にする。

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