おかみさん手帖
2.232015
もうすぐ2月が逃げそう
2月7日に保育園 “ 生活発表会 ” がありました。
昨年春に進級して、お歌や演奏、踊りにお絵描きetc・・・
全て詰まった集大成の生活発表会は、オペレッタでした。
毎年恒例の最後の最後は、5歳児のうた “ みんなみんなありがとう ”
長男の時は、嗚咽しながら涙があふれたけど、次男たら照れ隠しで、あごを出したりするもんで
遠くから 「ちゃんとせー!」と、くちパクの連発
その日は、生活発表会が終わると
父ちゃんが所属していた消防団のイベントがあり、父ちゃんと息子達、次男のお友達の4人で出かけていった。
放水をさせていただいたり、消防車に乗せてもらったり
焼きそばと豚汁が振る舞われ、5年生の長男も満足して帰ってきた。
年長児のお誕生日の日には
市内に流れる有線で 『おたんじょうびおめでとう』と、言う企画があり
インタビューされた内容が放送されます。
次男は 「大きくなったら何になりたいですか?」の質問に
「陶器やさん」と、答えていた
普通、サッカー選手や野球選手、お医者さんにパティシエちゃうん!?
陶器屋さんになって、消防団に入るらしい。
窯元のおかみさんと集金日で出会った時、
「夢が陶器屋さん。って、ここ何十年も聞いたことがないからピンときたわ」と。
とにかく、米粒みたいなつぶらなお目めの6歳児が将来につて考えているのは素晴らしい!
大きくなるにつれ、夢が変わっても私たち夫婦は口出しせずに見守ってあげよう。と、
約束している。
小学校の間にグングン身長が伸びて、今とほぼ同じ身長だった私は、婦人警官になりたかった。
父は、私をプロレスラーにしたそうだった
そう、時は長与千種さん&ライオネス飛鳥さん時代。
(いつも言うけど、知らないあなたは若いのよ)
私の父の夢はパイロットだった。一生懸命勉強していたそうだけど、片目を失明してあきらめた。
でも、パイロットになっていたら私は生まれていない。
私が、プロレスラーになっていたら、お豆のようなお目めの長男と、えなりくんのような次男は産んでいない。
今は、今で素晴らしい。